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顛末
結果、不合格。
初めてのA判定は不合格の味がした、なんてね。
 
FBにはざっくり挨拶かねて投稿をしたが、到底言えるはずもないことが山のようにあって、どっかに書くならまぁここくらいしかないだろうと。
なんだかんだ、高校3年間を綴る形をとったわけだしね。
一体今頃誰がこれを読むだろう?
ここを割っている同期か、結局誰なのかわからないままの先輩か。
あるいは昔のブログ仲間か……。
どちらにせよ、反応を期待するべくもなく、最後の最後は自分のためだけの記録になるだろう。
迷走を極めたこのブログも、今度こそこの記事が最後になるかな。


一年前の記事を読み返してみる。
おそらく、あの時の自分と今の自分は大きく異なってはいない。
自分が他の受験生と比較したときに、努力の面において、あるいは勤勉さにおいて、まったく以て劣っていることは重々承知していた。
また、天賦の才に程遠いことも。
だから自分を騙し騙し形だけでも寄せていこうとしたたかだか数ヶ月間があったとして、それで受かるほど甘くはないだろうと、誰より自分がよくわかっていた。
結果に異存はない。
それでも、昨夜母校の合格者数を見たときには、なぜか、今更のように、思い出すように、きりきりと痛むような悔しさを覚えた。
また、ものの数に入らなかったという事実。
別段取り立てることもない、くだらないそんな感傷に、少なからず動揺していること。
去年と同じだ。
もうすっかり、忘れてしまっていた記憶だった。

くすぶっていたものがあって、そこからの脱却を図り、ステップアップをしようという期間にするはずだったこの一年。
その原動力となり得たはずの感傷は、他でもない自分自身が元凶として引き起こした喜劇たる惨劇の日々の中で忘れてしまった。
なんと愚かしいことだろう。
もう、3月31日の晩にはそれどころではなくなってしまっていたのだから。

7月までの4ヶ月間の経験が、自分の殻の内側を見せてくれたように思う。
この経験さえなければ、無意識の自己欺瞞で以て、まっとうに生きていけたかもしれない。
あるいは、無意識下にあった自分を認識しても尚、そうした生き方を選択することも可能だったろう。
意識的な自己欺瞞。


何度でも思い出される。
あれは二年半前、京都旅行の前後だったか。
それとも高3のGWの一件に際した会話だったかもしれない。
あの人は言った。
「君は誰かのことを飲み込んでいるんじゃなくて、誰かのために動くことが快なんだ」
と。

すとんと腑に落ちた。
あの人は別に俺のことを偽善者だと糾弾したわけでもないだろう。
たとえそのニュアンスがあったとしても、それを許容してくれる人だったことは確かだ。
その是非はともかくとして。
しかしその言葉は、自分自身の業に目を向けさせた。
自分以上に俺をよく見抜いている人はあの人くらいのものだったかもしれない。
最終的には、大きな間違いも内包していたが。


すべて、自分のせいで失われた。
それが自分自身の人格と照らし合わせたとき、「過ち」と呼ぶべきものであったかは断言できない。
あくまで俺の視点として。
間違いなく社会常識や一般倫理の範疇では「過ち」であるのだけれど。
あのとき引き金を引かなかったとしても、いずれ何らかの形で同じような結末を迎えたような気がしてならない。
そのとき誰を傷つけることになったかは、またすこし変わっていたかもしれないが。
とはいえ、その一般的な正義や倫理の観点に立つことを選ばなかった以上、すでに異質である。
すべてが自分の罪であることは確かだ。
7月のあの日、自分で意味づけた結論こそがこの件における最後にして最大の選択だった。

自分にしか意味づけることのできない特異なあの4ヶ月間。
自分の大切な人一人救えなくて何が正義か。
元来の虚無主義指向もここまでくると質が悪い。
希望や期待は捨ててしまった。
この選択をした以上、同じ世界を彼と過ごせば、いつか再び衝突するかもしれない。
せめて、対峙するという選択が可能な段階まで自分自身が上り詰めなければ話にならない。

そんな、捻れた動機付けでは、当初の高邁な目標には到達できなかった。
これもまたひとつのターニングポイントだろう。
お似合いの結果とも言える。
それでも尚、生き続ける以上まだ終わりにはできないようだ。


6月某日、心神喪失のまま死ななかったのは運だったのだろうか。
人間、一線を越えるかどうかは紙一重なのだろう。
生と死とは隣り合わせとはよく言ったものだ。
自分の結論を出した7月。
全体の終焉をみた8月。
9月から3ヶ月くらいの間は、本ばかり読んでいた。
村上春樹。
彼のことを知るための第一段階。
同じ土俵に立つために。
一方で、精神安定のための術でもあった。
50冊くらいは読んだだろうか。
この一年では通算63冊。
必要な期間ではあった。

ある時ふと「受かったら死のう」と思った。
試験後の一件で強力なほだしにもあったから、そうはならなかっただろうが、落ちたから生きる、というのも一興かもしれない。


くしくも今日は3月11日。
3年前の震災から、あの人の存在は一線を画するものになった。
日本中が混沌に閉じた出来事も、やはり一人一人に異なった物語がある。
俺にとってのそれが、ある意味で、完結したのかもしれない。



おおよそ書きたいことは書いただろうか。
このブログは残しておこうと思う。
自分で読み返すためだけなら保存すればいいだけのことなのだけど、何となく、ね。
ここを読む人には全文まったく意味がわからないだろう。
特定されたところで、まぁ、今更というもの。
その程度にまでは、面の皮も厚くなった。
彼に読まれると思考が透けるが……その時はその時か。

これからの4年間で思考が変わらないとは言えない。
人格に大きな変化はないだろうけど。


なかなかに、楽しい日々だった。
いくつかの枠を壊して、リスタートすることになる。
それでも、この場所をつくったのは悪くないアイデアだったと思う。
4年前の自分を褒めてつかわそう。
これからのことはわからない。
きっともっと酷い出来事の一つや二つ、経験するだろう。
これがクライマックスだったとしたら……ショートショートのよくできた喜劇だったと一笑にふそう。


今日までこの場所の実存に寄与したすべてに感謝します。
ありがとう。
お疲れさま。

2014/03/11 18:16
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